初めて「テプラ」が売れた日

1988年に社運を賭けたチャレンジ

新事業の立ち上げ

当時の様子

1985年、それまでファイル・バインダーの製造・販売一筋であったキングジムにとって、電子機器にチャレンジするなどということは、およそ考えられないことでした。

当時は、「これからはペーパーレス社会がやってくる」と言われ始めた頃でしたが、相変わらず主力のファイルは売れ行き好調であり、大きなリスクを伴う新事業への挑戦は社内でも反対意見が多かったのです。

こうした状況の中、それでも新たな時代に対応できる事業を作ることを目指し、当時専務であった現社長の宮本彰は、周囲の反対を押し切る形で電子製品の開発プロジェクト、通称「Eプロジェクト」を発足させました。

テプラ開発の発想は ファイルの見出しから

Eプロジェクトが、初めての電子製品を開発する上で考えたのは、ファイリングのノウハウを生かしたもので、電子的な文具を作れないか、ということでした。

その時に出たアイデアが「ファイルの背見出しのタイトル書きを何とかしよう」ということでした。当時、ファイルの背見出しのタイトルは、主に手書きです。しかし、字がきれいな人ばかりではありません。また、タイトルが一つ一つ違うので、印刷には向きませんでした。

「テープ状のものに、文字を手軽に印刷できる製品」、コンセプトが決まって開発がスタートしたものの、それまで電子製品に全く関わったことのなかったプロジェクトのメンバーにとっては試行錯誤の連続でした。粘着テープは高温多湿・低温に弱く、調整が必要なことや、インクとテープの相性が悪いと化学変化によって変色してしまうこと、太陽光線により退色してしまう恐れがあるなど次々に発生する課題を、一緒に開発を進めてくれたプリンタメーカーと協力しながらクリアし、約3年かけてキングジム初の電子製品「テプラ」が完成します。

営業マンの意識改革

1988年の夏、完成した「テプラ」を前に、営業マンたちは戸惑いました。パソコンも普及していなかった時代に、ファイル・バインダーしか扱ったことがない、いわゆる“キーボードアレルギー”だった営業マンたちは、テプラをどのように販売したら良いのかが分からなかったのです。

そこで、プロジェクトリーダーだった宮本は全国の営業拠点を駆けずりまわり「これからはファイル・バインダーだけでは生き残れない。もっと新しいジャンルにもチャレンジしていこう」と社員を励まし、販売方法の検討を行っていきました。

当時のキングジムにとって、電子文具への投資はとても大きなものでした。最悪1個も売れないケースでは、当時の金額で約5億円の損になる可能性があったのです。まさに、社運を賭けたチャレンジで、全社員が一丸となって取り組まなければならないプロジェクトだったのです。

老舗文具店での 店頭販売に奮闘

1988年秋、銀座伊東屋。

やっと発売にこぎつけた「テプラ」が、いよいよ店頭デモ販売される日を迎えました。伊東屋前の銀座通りは、年末商戦に向け賑わいを見せていました。この最高の場所でのデモ販売には、あえてテプラ開発の実務責任者を張りつけました。心からこの商品に惚れこんでいた彼らは、なんとかしてこの商品をヒットさせようと、道行く人々に次々と声をかけます。

代表取締役社長 宮本 彰

人は集まるものの、その場で買う人は現れません。諦めかけたその時、一人の男性が財布に手をかけました。世界で初めて、「テプラ」が売れた瞬間でした。

本体16,800円、カートリッジを含めると約2万円の売上。そのお客様にとって2万円の重みがどの程度のものなのか、私たちには知る由もありません。しかし、少なくとも言えるのは「テプラには2万円を出す価値がある」と、そのお客様は思ってくださったということです。現場に立ち会っていた宮本は「まったく見ず知らずの人なのですが、私には神様に見えました。『ありがとうございます』という言葉が、この時ほど自然に感じたことはありませんでした。」と、当時のことを振り返ります。

以来30年、「テプラ」は累計販売台数1,000万台を突破し、ファイルのタイトル付けはもちろん、工場・建設現場での注意表示や、店舗・駅・病院・学校などでの案内表示、ご家庭で持ち物へのお名前付けなど、さまざまなシーンでご活用いただける製品に成長しました。

しかし、どんなに市場が成長したとしても、私たちは初めて「テプラ」が売れたときの気持ちを忘れることなく、これからもお客様に「買う価値がある」と思っていただける製品を提供し続けていきたいと考えています。